2009年7月9日木曜日

7月6日 トルコ(7):カッパドキア 「カッパドキアツアー2日目」

「起床」
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今日でこのノーマッドホテルともお別れ。長い間様々なところを旅していると、たくさんの土地を知ることができ、たくさんの人々と出会うことができるが、その分別れも早い。時々それが寂しく感じる。

5種類の朝食から、今回は「オムレット」を頼んだ。オムレットは、皿の真ん中に薄く広がる卵焼きだ。皿のサイドには、トマトやキュウリが並べられる。パンは昨日と同じように食べ放題。お腹を満たすためにパンばかり食べていた。

「ツアーバス到着」
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9時30分、バスは予定通り到着した。昨日のバスより小さい。バスの運転手が私の名前を確認し、荷物を持ってくれた。彼は日本語で、
「こんにちは。」
と挨拶し、
「今日はとてもいい天気ですね。」
などと、慣れた口調で日本語を話す陽気なおじさんだった。

小さなバスが進み、10分ほどでストップした。どうやらバスの乗り換えをするようだ。見ると、乗り換え先は昨日と同じバスで、同じツアーガイドがいた。昨日席の隣にいたデイビット、そして日本のインターナショナル・スクールに勤めるオーストラリア人も同じバスに乗っていた。

どうやら今日も日本人が一人乗っているようだ。

今日は待ちに待った地下都市に行く日。とても楽しみだ。

「パノラマビュー」
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まず始めに訪れたのが、カッパドキアのパノラマビュー。これは昨日と同じだ。今日からツアーに参加した人もいるため、ガイドは昨日と同じ説明を始めた。私は昨日も説明を聞いたので、ガイドから離れ、写真を撮りながらパノラマビューを楽しんだ。

「ローズバレーハイキング」
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パノラマ―ビューを鑑賞した後、私たちはローズバレーをハイキングした。

まず始めに訪れたのは、果物畑。ここカッパドキアには広大な土地が広がるので、フルーツや野菜を作るのが盛んだ。主な生産物はぶどうやジャガイモ。ぶどうはワインや、トルコの酒ラクに使われる。他にもカボチャや、アプリコットなどが並ぶ。

ガイドが木に実る果物をもぎ取って食べた。その木にある果物は食べてもよさそうだ。色がとても青いアプリコットだ。私ももぎ取って食べた。とても酸っぱかった。まだ熟していないのだろう。

ツアーに参加するオーストラリア人のおばさんが、果物畑で売られているナッツを買い、皆に分け、私にも渡してくれた。とても良い感じのおばさんだ。

ローズバレーの探索をしながら、私は一緒にツアーに参加した日本人に話しかけてみた。

彼女の名前はノリコ。ノリコさんも、私と同じようにヨーロッパを3か月間程旅行するそうだ。しかし、私は主にヨーロッパの西側に行く予定だが、ノリコさんは東側へ行くのだという。

私たちはイスタンブールの話をした。私はあまりイスタンブールが好きではなかったが、旅で出会う多くの旅行者は、
「イスタンブールは良い街だ。」
と言う。しかし、私は以前も述べたがあまりイスタンブールが好きではなかった。こんな風に思うのは私だけかと思ったが、ノリコさんも同じく、
「土地はいいけど、人がねぇ。」
と言う。そうなのだ。イスタンブールの人はすべてではないが、正直あまり信頼できる人がない。そして私は、アラジャとバリスの話をすると、
「そうそう、私も絨毯屋に優しくいろいろ教えてもらったの。」
聞くところによると、ノリコさんも絨毯屋でお茶をご試走され、絨毯を勧められたそうだ。

後で聞くと、デイビットも同じ目に遭ったと言う。

どうやら、大多数のイスタンブールの絨毯屋は、観光客に優しくし、絨毯を勧めているようだ。私にイスタンブールを3日間案内してくれたバリスとアラジャも、私に絨毯を売るためにあそこまで優しくしていたんだろう。善意ではなかったのだ。

しかし、ノリコさんやデイビットは、絨毯を断った際に、絨毯屋はとても不機嫌な態度をとったというが、私の場合は、絨毯を断った後も態度が変わらなかったことを考えるとラッキーだったといえる。しかも3日間もイスタンブールをガイドしてくれたのだ。私の場合は良かったのだろう。

さらに、ノリコさんも、同じような日程のスケジュールで400ユーロ支払っていた。やはりこの値段はバックパッカ―でない普通の旅行者にとっては普通の値段なのだろうか。しかし、ノリコさんも自分と同じような貧乏旅行をしているようなので、この値段が貧乏旅行者にとっては高いことを知ったときちょっと悔しがっていた。

ローズバレーはとても良い場所だった。谷は地下水が湧き出るため、いつも湿っている。そして谷の真ん中には小さな小川が流れ、周りには木が生い茂る。そしてしばらく歩くと、今度は広大な大地にたくさんのおもしろい形をした岩がたくさん現れるのだ。見て飽きない風景である。

「ランチ」
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ローズバレーのハイキングを終えた後、私たちはバスに乗って、デイビットが泊まるホテルにて昼食をとった。昨日と同じビュッフェかと思って期待していたが、今回は違うようだ。しかし、ホテルの料理はとてもおいしいものだった。

まず出てきたのは、米のような形をしたパスタの入ったスープ、そして茄子とチキンをトマトスープで煮たものとバターライス、そしてサラダと煮豆が出てきた。最後に出てきた丸い形をしたデザートはとても甘ておいしいものだった。


「地下都市へ」
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そしてランチの後は、ついに待ちに待った地下都市ツアーである。

カッパドキアにある地下都市は地下4階から成るとても大きなもの。ここに何千人もの人が生活したというから驚きである。

中には、トイレやキッチン、ワインナリーなど、生活に必要なものがほぼ揃っている。地下深いため、地下都市の中はとても寒かった。

天井がとても低いので、
「ここに住んでいた人々はとても小さかったのか。」
とガイドに聞いたところ、天井が低いのは敵が攻めて来たときに、鎧や縦、槍を持ってこれないようにするためだという。背の高いデイビットはほとんど立つことができなかった。

いったいどれくらいの歳月をかけて昔の人々はこんな穴を掘ったのだろうか。考えるだけでもすごい。

「オニキス職人」
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次に訪れたのは、オニキス職人の工場だ。オニキスとは、真っ黒な石。悪いものを追い払うために古くから使われているそうだ。私たちの前に現れたオニキス職人は、オニキスではなく、大理石の塊を機械にかけて削り、瞬く間に卵の形に仕上げた。オニキスはショーで見せるには貴重すぎるからであろうか。素早く正確に大理石を削るその姿はまさに職人技である。

そして、オニキス職人の後はトルコ石の加工作業の見学だ。どうやらここは、オニキスに限らず様々なアクセサリー等を作っているようだ。一点の曇りもない真っ青なトルコ石はとてもきれいである。

ノリコさんは、
「誕生石だったら買ってもいいのになぁ。トルコ石は12月の誕生石なのよね。」
と言った。私の誕生日は12月1日、なんとトルコ石は私の誕生石だったのだ!そう聞くとと、急に欲しくなるトルコ石だが、あいにくトルコ石を買える程お金を持っていないので、私は諦めた。

「カッパドキアツアー終了」
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工場を見学し、カッパドキアツアーは終わりを告げた。バスは私を次の目的地であるパムッカレに行くバスが来るバス停へと連れて行き、そこで降ろした。デイビットとダイアナも同じバスなので一緒に降りた。出発までまだ2時間近くあったので、私達はバス停の近くにあるレストランへ行き、夕食をとることにした。

私は5TL(350円)のスパゲッティを頼んだのだが、まず出てきたのはサービスの巨大なナンである。サービスでこんな巨大なものがでてくるとはあっぱれだ。デイビットはベジタリアンらしく、皿にたくさんの野菜とライスが載ったものを、ダイアナはトルコのピザ、ピデを頼んでいた。

ダイアナは先も述べた通り、横浜インターナショナルスクールで英語の教師をしているのだが、その休みを利用して、世界中を回っているようだ。

アジアはタイやベトナム、カンボジアなどに行き、ヨーロッパもイタリア、スペイン、フランスなどたくさんの国を旅行しているのだという。横浜インターナショナルスクールでは、3か月の休みを取っても問題ないというからすごい。なんと良い労働環境なのだろうか。

日本では横浜の元町に住んでいるのだとか。とっても良い場所だという。とてもお気に入りなようだった。3児の母で、子どもたちはそれぞれ世界に散らばっているという。指輪をしていることから結婚しているのだろうが、夫とは一緒に旅行しないのだろうか。気になるところであるが、あえて触れなかった。

「バスの悪夢」
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バスは定刻より10分程遅れて到着した。まぁ日本でもそうだが、バスが定刻に着くことはほとんどない。

バスは新しく、とても乗り心地が良さそうだ。デイビットと私は、バスの一番後ろに座ったが、座席指定であるらしく、バスの車掌に席の移動を告げられた。そして移動先の座席の隣には、とても大きな体である巨漢が座っていたのだ。

彼の体は、私の席の5分の1程を占めていた。せっかく乗り心地の良さそうなバスなのに運がない。深く座ると、どうしても彼の体に触れてしまい、とても暑い。話してみると、彼はカナダ人で、石炭を運ぶ貨物列車の運転手をやっているのだという。彼は話す時に、時々口をブルブル振るわせる。今にも唾が飛んできそうな様である。私は彼と話すことをやめた。

私はどこでもすぐに寝られるのだが、この日ばかりは全く寝れなかった。うまく座ることができないからである。さらに、車内のクーラーは少し寒い家に、となりの男からくる熱気はとても暑い。こんな状況ではさすがの私も寝ることが困難であった。

まさに悪夢である。

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